防府市の名所・文化
防府のまちは古くから周防の国の国府として栄えた歴史ある土地です。市内北部は日本三天神の一つ防府天満宮の門前町として商業が発展。南部は、毛利藩時代からの三白政策の一つ、製塩業が盛んでした。また歴史的な著名人との縁も深いまちです。
防府ゆかりの人
漂泊の俳人:種田 山頭火(1882-1940)
明治15年(1882年)12月3日、現在の防府市八王子二丁目に父竹治郎、母フサの長男として生まれた山頭火は、昭和15年(1940年)10月11日に愛媛県松山市で亡くなるまで、全国各地を旅しながら数多くの俳句を作りました。山頭火が亡くなってからも、その放浪性、脱世俗性と、心情や情景を素直に表現した自由律の句が人々の心をとらえ、山頭火ゆかりの地を訪れる人も多くあります。
市内には、「ふるさとの水をのみ水をあび」(JR防府駅前)や「雨ふるふるさとははだしであるく」などふるさとへの思いをつづった句をはじめとした多くの句碑が設置されており、山頭火を偲びその心にふれることができます。
山頭火生家跡
山頭火の生家があった場所は整備されて句碑が建てられています。
戎ヶ森公園の句碑
山頭火の生家跡に近い戎ヶ森公園に句碑が建てられています。
作曲家:大村 能章(1893-1962)
大村能章は、市民の憩いの場でもある毛利氏庭園の近くで生まれ、松崎小学校から現在の高川学園高等学校に学びました。その後、海軍軍楽隊で音楽を学び、下関海峡オーケストラの指導にあたり、日本歌謡学院で若手の育成にたずさわりながら、作曲家として多くのヒット曲を生み出すとともに慈善公演や慰問公演を手がけるなど、生涯にわたって音楽にかかわる活動を行いました。わが国の歌謡界の四天王の一人として、「旅笠道中」「野崎小唄」「麦と兵隊」「同期の桜」などに代表される8000曲をも超える作品を世に送り出しており、その遺品の数々は防府市地域交流センター(アスピラート)1階に展示されています。
発明家・事業家:柏木 幸助(1856-1923)
安政3年(1856年)に三田尻で生まれた柏木幸助は、防府が誇る発明家・事業家です。県立華浦医学校で化学を学び、国産の安全マッチや体温計の製造に成功し、日本で最初の体温計製造を始めました。柏木体温計は世界有数の優良品として海外にも輸出されました。その後も醤油の早造り法の発明やジアスターゼの発見など、数々の発明を手掛けるかたわら、事業家としても防府の発展に力を注ぎました。防府市青少年科学館(ソラール)の屋外広場に銅像が建てられています。
千年のまち防府の歴史を歩こう
防府天満宮
学問の神様・菅原道真公を祀る
日本で最初の天神さま
学問の神様・菅原道真公を祀った神社で、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と共に日本三天神と称されています。道真公は九州への西下の途中、防府に立ち寄り、この地をすっかり気に入り、自分が死んだら魂となって帰ってくると約束します。九州で公が亡くなった翌年(904年)日本で最初の天満宮として創建されました。
所在地 | 防府市松崎町14‐1 |
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電話番号 | 0835-23-7700 |
アクセス | JR「防府駅」から車で約5分、路線バスで4分 |
関連サイト | 防府天満宮 |
周防国分寺
聖武天皇の勅願により、国ごとに建てられた官寺のひとつで創建当初の境内に今も伽藍を残すきわめて珍しい例として知られています。境内地は国の史跡に指定されており、また重要文化財の金堂には、藤原時代初期の木造日光・月光菩薩立像をはじめ多くの仏像、宝物があります。
所在地 | 防府市国分寺町2-67 |
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電話番号 | 0835-22-0996 |
アクセス | JR「防府駅」から車で約5分、路線バスで5分 |
関連サイト | 周防国分寺 |
毛利氏庭園・毛利博物館
旧萩藩主毛利氏により、大正5年(1916年)に建てられたもので、邸宅は総ヒノキ造りの壮大な建築。庭園はひょうたん池を巡る回遊式で、四季折々の景観が楽しめます。邸宅の一部は毛利博物館として、毛利元就ゆかりの品をはじめ、国宝や重要文化財を含む約2万点の宝物を所蔵、展示しています。
所在地 | 防府市多々良1-15-1 |
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電話番号 | 0835-22-0001 |
アクセス | JR「防府駅」から車で約10分、路線バスで6分 |
関連サイト | 毛利博物館/国指定名勝 毛利氏庭園 |
周防一の宮 玉祖神社
玉造部(たまつくりべ)の先祖の神を祀る古社で、周防国の一ノ宮です。社伝によると、仲哀天皇、神功皇后が西征の折りに立ち寄られ、軍事の吉凶を占ったとされ、これが今に残る県指定無形民俗文化財の占手神事のはじまりと言われています。また、境内では天然記念物・黒柏鶏が飼育されています。
所在地 | 防府市大字大崎1690 |
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電話番号 | 0835-21-3915 |
アクセス | JR「防府駅」から車で約15分、まちの駅「うめてらす」から車で約15分 |
東大寺別院 阿弥陀寺
東大寺再建のため周防国へ西下した俊乗房重源上人が、後白河法皇の現世安穏を祈って、文治3年(1187年)に建てた古刹です。国宝の鉄宝塔をはじめ貴重な仏像・古文書がたくさんあります。また、境内には80種約4,000株のあじさいが植えられ、あじさい寺としても有名です。
所在地 | 防府市大字牟礼1869 |
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電話番号 | 0835-38-0839 |
アクセス | JR「防府駅」から車で約15分、路線バスで20分 |
春日神社
周防国の国司として赴任した藤原氏が、文治2年(1186年)に奈良の春日神社の分霊を祀ったといわれ、俊乗房重源上人によって再建されました。1月に行われる大寒みそぎが有名で、毎年厳しい寒さの中を多くの人が願かけに訪れます。また、10月には例大祭・鬼まつりが行われます。
所在地 | 防府市大字牟礼1335 |
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電話番号 | 0835-38-1185 |
萩往還
「萩往還」は、江戸時代に毛利氏が、参勤交代で往来するために作られた御成道(おなりみち)です。慶長9年(1604年)の萩城築城後、萩と三田尻を結ぶ街道として整備されました。全長はおよそ53キロメートルあり、現在の防府市、山口市、萩市を通っています。 防府市では、宮市町・今市町の市道815メートルと三田尻本町・お茶屋町の市道409メートルが、「萩往還」として国指定史跡になっており、三田尻御茶屋旧構内(英雲荘)が、「萩往還」の最終地点です。
所在地 | 防府市宮市・今市町・三田尻本町・お茶屋町 |
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電話番号 | 0835-25-2237(文化財課 文化財保護係) |
これが「萩往還」の目印!
英雲荘 (三田尻御茶屋旧構内)
萩往還の終点で、萩藩2代藩主毛利綱広により承応3年(1654年)、藩主の休憩や迎賓用に建設された三田尻御茶屋。7代藩主毛利重就が隠居後に移り住んだことから、重就の法名にちなみ「英雲荘」と命名されました。
所在地 | 防府市お茶屋町10-21 |
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電話番号 | 0835-23-7276 |
アクセス | JR「防府駅」から車で約10分 |
笑い講とお笑い講で世界中に笑いを広める運動
日本ユネスコ協会連盟 プロジェクト未来遺産に登録
(2012.11.13 登録 山口県初)
プロジェクト未来遺産とは百年後の子どもたちに 長い歴史と伝統のもとで豊かに培われてきた 地域の文化・自然遺産を伝えるための運動です
笑い講
鎌倉時代から続く伝統文化
大道小俣地区に800年以上もの間受け継がれている全国的にも珍しい笑いの神事です。21戸の講員が頭屋宅に集まり、神前に供えてある大榊2本を上座と下座に対座する講員に渡し、2人は大声で3度笑いあいます。笑い声の第1声は今年の豊作を喜んで、第2声は来年の豊作を祈って、第3声は今年苦しかったことや悲しかったことを忘れるために笑います。このとき、笑い声が小さかったり、不真面目なときは、講の長老は何度でもやり直しをさせます。
お笑い講
世界に広げる笑いの庶民文化
防府市観光協会は、県立防府商業高校の協力を得て、伝統行事「笑い講」が持つ「笑い」の魅力を庶民文化に広げて行くため、「お笑い講世界選手権大会」を平成21年にプレ大会として開催しました。以後、毎年12月に開催し、地域や国籍を問わず多くの人たちが参加する大会となりました。この企画の成功に続き、防府版万歳三唱「お笑い三笑」、防府版健康体操「お笑い体操」を開発し、防府を笑いの聖地として交流人口を増加させ地域を活性化するため、平成24年11月に観光協会内に「世界お笑い協会」を設立しました。
お笑い講世界選手権大会
3人一組のチーム戦で、対戦者と向かい合うように座布団に座ります。司会者の合図により対戦を開始!
対戦の流れ
一人目 「感謝の笑い対戦」
二人目 「祈りの笑い対戦」
三人目 「再出発の笑い対戦」
全 員 「総笑い対戦」(決勝戦のみ)
審査員による判定
対戦者は座布団に座ったまま、胸元に持った大会専用団扇を揺らし、司会者の合図に合わせて一息で「わっはははははは」と笑います。審査委員長は対戦が成立するとたらいを数回、笑いが不充分で対戦をやり直す場合は、1回叩きます。
電話番号 | 0835-25-2148((一社) 防府市観光協会) |
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